New!! ○三億円犯人 (後編) 大下英治


            
    ☆現代虚人列伝 三億円犯人 (後編)   大下英治   ★前編は こちら   

          ~ 明智クンもポアロも君にはマケソー ~
     (1976年 3月)

                                     現代の眼編集部 編  現代評論社



   ■「単独犯」という断定で救われる

 多磨農協への一連の脅迫状を見ても、若い者が単独で考えついた文章とは思われない。
たとえば、あの事件のあった年の5月25日、ちょうど東芝府中工場の給料日に当たる日に、
君たちが多磨農協に 
                「三百万円よこせ」と差し出した脅迫状を見よう。



  「前略 指定シタ時間ニ ナッテモ 車ワ走リ出サナカッタノデ オヌシ ガ サツニ シラセタ コトハ
我々 ニモ スグ ワカッタヨ。 ワレラ ドクジ 方法 ニ ヨリ車ノナカニワ 私服ノ ポリガ ノリ 金ワ
持ッテ イナイ ト 判断シタノデ 中止ニシタ。 金サエ 持ッテ クレバ ポリナラ ウチ殺シテ デモ
イタダク テハズワ シテアッタノダガ 金ナイノデ ソノ イミモナイノデ 中止ノ指令ヲダシタノダ
我々 ヲズイブン 甘ク ミテクレタモノダ。

オヌシハ アイキョウアルショウバイジョウズナ声ダッタ ソウダガ 甘イ判断ワ 多クノ ヒサン生ムゾ。
ソノアト スグニ カゾクノモノモフクメテ 職員ニ アル方法ニヨリ フクシュウスル ヨテイデ アッタガ
カンガエルトコロアリ イマ一度ノ機会ヲ アタエル」


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 なかなかシッカリした文章だ。どうも君ひとりが書いたとは思えない。特に次のような箇所、

「アイキョウアルショウバイジョウズナ声ダッタ」 「甘イ判断ワ 多クノ ヒサン生ムゾ」 
「カンガエルトコロアリ イマ一度ノ機会ヲ アタエル」
 は君の発想というより、陰の四十代の
人物の発想としか思えない。他の脅迫状でも、「男 ラシク アナタノ ハラデ カイケツセヨ」 
「イヤガラセ ナド ノ タグイデハナイ」
 など四十歳代の世慣れした人物としか思えない文句が
ちりばめられている。君が故意に書こうとしても、君の年代では思いつかない文句が多過ぎる。

それでいて端々には、若者らしい稚拙な表現 も混じっている。

 私の推測では、まず君が文面を書き、それに陰の協力者が一部手を入れた。それをまた君が
書き写して出した。そうすることにより、わざと犯人像をぼかし、曖昧にしようと考えたのではな
いか。 それにもかかわらず、単独犯説にこだわりがちだった捜査本部は、脅迫状の筆跡、筆圧、
文章の表現などを分析、総合して次のような犯人像を描いている。

       「荒っぽさと慎重さが同居している分裂症的性格で、内向性が強い。交友関係は
       狭く、目立たない存在。単独行動タイプで粘着質である。年齢は19歳~22、3歳」


 君と陰の人物は、この犯人像を読んで、思わず笑ったんじゃないかな。荒っぽい君の性格と、
慎重なもう一人の人物の性格を強引に結びつけ、「分裂症的性格」とは実にうまい表現だわい、と。

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 どうしてこうまで捜査本部は単独犯にこだわるのだろうか。君たちの正体がサッパリつかめず、
的がしぼれない、とにかく犯人を限定しようという焦りはなかったろうか。 ある刑事がもらしていた。

 「せっかくクサイと思った人物を見つけて上司に報告したところ、『なんだ、その男は三十歳を過ぎ
ているじゃないか。
 犯人は二十代の若者なんだぞ と一喝されてね」  君、というより
もうひとりの共犯者は、捜査本部の「単独犯」という思いこみのため、ずいぶん助かっただろう。

 ところで、君はどういう境遇の男だったのだろうか。脅迫状のなかで何度も「おれはばかではない」
「甘くみてくれたものだ」
という文句を使っているところから判断し、逆に君はずいぶんと他人から
ばかにされてきた境遇に生きてきたのではないかと思う。学歴も中学卒か高校中退くらいだと思う。
ただ志の弱そうな面相ではなく、目つきも鋭く、全体にギラついた雰囲気が漂っていると思う。

 もう一人の中年男は、イメージの手掛かりがない。が、ふとその男が計画だけをして現場に現れ
なかったのは、もしや交通事故か職場における大きな事故のため足を失った、などのせいではない
か。社会から疎外され、家に閉じこもっているうち、あのような計画を思いつき、若さと大胆な行動力
のある君と組み、あの事件を実行させた・・。  そんな推理小説じみたことも考えたものだ。

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  ■ はたして君はS少年か

 推理小説じみたことと言えば、大いに妄想を逞しくしたのは事件から二年目の昭和45年4月7日付の
 『朝日新聞 夕刊』の君に関する記事だった。 << 三億円犯人には女友だち? 盗難車にイヤリング >>
 という見出しで、 イヤリングの写真 とつぎのような記事が載っていた。

  「三億円事件の東京・府中署捜査本部は昨年四月、小金井の公務員住宅駐車場に乗り捨てられ
  ていた盗難車(プリンス・スカイライン2000GT)の中からナゾのイヤリング一個が見つかったので
  調べていたが、このほど甲府市内の装身具商が43年までに作ったひとつとわかった。同本部は
  このイヤリングをつけていた女性が犯人と一緒に盗難車に乗った際、落した可能性もあるとして、
  新たな"遺留品"に加えたうえ、この事件では初めて女性の線からの捜査を始めることにした。

  このイヤリングは右耳用のもので、石は薄いピンク色の紅水晶。<中略>捜査本部はイヤリングの
  持主が犯人と顔見知り程度の間柄だった場合もありうるとしており、この女性の届出を期待している」


 君はこの記事を見た瞬間、ドキリとしたんじゃないかな。完璧にコトが運んできたというのに、女の為に
崩れはしまいか、と。幸い、女からの届出はなく、捜査本部もイヤリングからは君に到達できなかった。

 私はこの記事を読んでから五年間、君がどんな男かと想像するたびに、あのイヤリングの女とはどう
いう関係だったのだろう、女は君が真犯人だということを知っていて車に乗ったのだろうか、と妄想をたく
ましくし、時効直後、某小説誌に 「三億円犯人の恋人からの手紙」 と題して、そのイヤリングの
女の眼を通して次のように君の像を描いてみた。

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 君は女に職業や過去の経歴について一切明かさないが、話の断片から女は君が電気溶接工か溶解
工であろうと想像している。ただ君は、君の父親がある事件に絡み、警察のせいで死んだと信じ、いつ
の日か警察への復讐を誓っている。そして、これまで私が述べてきたように中年の陰の人物と組み、
三億円強奪を計画する。ただし、単独で三億円を奪ったのち、君は何も知らないで事件現場近くの
喫茶店で待っていた恋人を車に乗せ、アベックでドライブしているように見せかけ、厳しい検問を突破し、
やがてはモーテルに逃げ込むというストーリーだ。

そしてその日を最後に恋人の前から姿を消す。恋人はまさか君が犯人だなんて思いもしないが、二年後
イヤリングの記事を見て震える。記事にあるように、かつてプリンス・スカイライン2000GTに乗ってドライブ
したことがあり、その時、記事と同じイヤリングを紛失したことがあるのだ。「そういえば他にも」と君と触れ
あった過去に光を当て直してみる、というものだ。

 今ひとつ、気になっていることがある。君が容疑者中、未だに
もっともクロに近いと囁かれている  自殺したS少年(当時18歳)ではなかったか、 という説だ。

 S少年は父親が警視庁の白バイ隊長だというのに立川グループという非行グループに加わり、逮捕歴が
数回ある。顔も------ 私はS少年の写真を二葉見たが、例のモンタージュ写真にそっくりである。
車の常習窃盗犯でもある。かつて彼の仲間は、三菱銀行立川支店の現金輸送車を襲撃しようと下見まで
したことがあるし、発炎筒を焚いてスーパーを襲ったこともある。
さらに銀行脅迫状の差出人の住所が戸倉となっていて、S少年も同じ戸倉に住んでいたため土地カンもある。

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 捜査本部は少年をクロと睨み、 逮捕状を持ってS少年宅へ行った。 が、母親は主人が警察官
ゆえ、逮捕されるのが忍びがたかったのか、「いない」と居留守を使った。その夜、S少年は青酸カリで謎の
自殺を遂げてしまった。事件から五日後の12月15日のことである。

 その後も捜査本部は何度もS少年の周辺を洗った。しかしあくまで単独犯を主張していた本部、中でも平塚
刑事はS少年をシロと断定した。理由は、事件の年の8月21日に多磨駐在所に爆破予告状が郵送されたとき
にはS少年は練馬の東京少年鑑別所に収容されていてそんなものを郵送できるはずがない、よってこの事件
は単独犯であるからS少年はシロ。

 もうひとつの重要な根拠は事件当日、新宿のオカマXさん (以前から肉体関係あり)のアパートに
泊まっていて、朝の6時ごろ事件現場近くへ準備に出かけてはいない、ゆえにシロであるというもの。

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 私は週刊誌記者として、時効寸前にもう一度S少年の疑惑について洗い直しにかかった。
当然、オカマXさんを探し出し、会った。ところが、年のころ33、4歳のXさんはこう言ったではないか。

「刑事さんが4度くらい来てしつっこく訊いていたけど、ハッキリいって、Sがあの事件の日、何時ごろアパ
ートを出て行ったかなんてよく覚えてないの。外が明るかったように思うから、朝の8時ごろだろう、と答えた
だけなの。それに、Sが私のアパートから帰って行ったのが事件の日かどうかもハッキリわからないのよ。
事件の日、雨だったというけど、それなら私、Sにレインコートか傘か貸してるわ。でも貸してないとこみると、
帰って行ったのが事件の日かどうかもわからないのよ」


 どうしてこんな曖昧な証言でS少年にアリバイがあり、シロと断定したのか、理解に苦しまざるを得ない。
しかも、私がより興味を抱いたのは、S少年が自殺したあと、S少年の母親がXさんのアパートを訪ねて来て、
S少年の持ち物を持って帰ったというXさんの証言であった。ズボン二着と小物がXさんのアパートに置いて
あったという。そこで、私はもしかするとS少年が現金輸送車を襲ったあと、Xさんのアパートへ引き返し、 
三億円を置いて行った のではあるまいか。そのあとS少年は父親ともめ、自殺した。
三億円はXさんのアパートに置いたままだ。 誰にも知られることなく、Xさんは三億円を自分のものに・・・?

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 まさか、とは思ったがXさんについて一応調べてみた。調べれば調べるほど、疑惑は深まっていった。
Xさんは事件一年後、そのアパートを引き払い、一年間ニューヨークへ遊びに行っている。帰国後、バーを
一軒持ち、しばらくしてつぶしている。一方、実家には一千万円を越える家を建ててやっている。それに、今は
東京都内に分譲マンションを別々に二つも持っている。えらく羽振りがいい。本人はニューヨークにパトロンが
いるし、かつてはインドネシアの某大臣の恋人だったから金もある、と弁明したが妙に気にかかる。

 あるいは、「S少年は鑑別所に入っていて8月の脅迫状は出せなかった」というが、Xさんが共犯なら楽々出せ
たではないか。平塚刑事もあまりに単独犯にこだわりすぎてはいないだろうか、というような事も考えたものだ。

 はたして君はS少年であったのか。もしそうだとすると、あの世の君に話しかけていることになるのだが。

しかし三億円事件だけは、疑えばそれぞれ犯人らしく見えてくるという不思議な事件で、そのためと、警視庁の
ドジのため、ずいぶんと君と間違われた人がいた。なにしろ容疑者が117950人にも及んだというのだから。
特に誤認逮捕された草野信広さんんなど一生取り返しのつかない傷を付けられた。ひどい人になると、利害関係
から人を陥れようとして「あの男が怪しい」と警察に密告し、密告された男は取り調べを受け、えらい迷惑をこうむ
ったという例さえある。
 逆に、俺こそ三億円犯人だと名乗り出るオッチョコチョイも
このごろ多く、ある雑誌社では近く 「「三億円真犯人座談会でも開こうか」 と話し合っているほどだ。

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 この調子だと、いずれまた本当に君の真似をする者が現れるかもしれない。

その時には、桜田淳子チャンも年収5億というインフレの昨今では、10億円くらい強奪するのが相場だろうが、
大先輩の君も沈黙ばかり守っていないで、ひとつ、脅迫状と同じ筆跡で、「着想ハ ナカナカイイケド イマヒトツ
沈着サガタリナイタメ 失敗ヲマネイタ ザンネンデシタ」
 という評論でも新聞社へ送ってはいかがかな。


                                              (フリーページ記事作成・2010.6.22)




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